2011年10月12日 (水)

お引越し

う~に~がいなくなった時、ブログをやめようと思いました。

このブログは、う~に~(たまにまいす)のことを書くために始めたものです。
主役がいなくなってしまっては、もう書くことがないからです。

でも、う~に~の16年間の記録だけは、、どうしても残しておきたかった。
それを書き終えたら、終わりにするつもりでした。
当初は四十九日が目標だったのですが、それは全く無理だったので(笑)、
一周忌を最終目標にしていました。

だけど日が経つうちに、気持ちが変わってきたのです。

いつまでもう~に~の思い出を語れる場所を、残しておきたい。
ひとりで思い出に浸るのではなく、だれかに聞いてもらいたい。
聞いてくれるのは、犬を通じてつながっている人たち。
犬と暮らすことの幸せや、喪った哀しみを共有できる人たち。
それはやはり、今までブログを読んで下さっていた方たちだと思うのです。

う~に~のことを語れる唯一の場所として、これからも続けることにしました。

ブログを始めた時から、犬猫に関する記事以外は書かないと決めていました。
でも犬を飼っていない、飼う予定もない現在の私には、今までと同じやり方で
続けていくのは不可能です。

かと言って、今さらここに別のことを書く気にはなれません。
う~に~との輝かしい日々の上に、私のどうでもいい日記を重ねていくことが、
どうにも許せないのです。

そこで一周忌を区切りに、ブログを引っ越すことにしました。

犬との出来事を、リアルタイムで書くことはもうできません。
これからは私の日常が主になり、犬との生活の参考になりそうな情報は、
ほとんどお伝えすることができないでしょう。
だけどう~に~の思い出や、使い回しの写真(笑)は、折に触れ登場することに
なると思いますので、よかったらたまに見に来ていただけると幸いです。

う~に~なしでどれだけ続けられるのかわかりませんが
とりあえずやってみます。

このブログは、私の可愛い大切なう~に~が、16年と3ヶ月、
たしかにこの世に存在した証として、このまま残しておくことにします。

2006年の開設以降、う~に~とまいすを可愛がっていただき、
う~に~亡き後も見に来てくださって、ありがとうございました。
コメントやメールをいただくことは、ブログを続ける上で私の支えとなり、
励みとなりました。
感謝申し上げます。

新しいブログのタイトルは、う~に~に感謝を込めて、
「ありがとう~に~♪」です(笑)
このタイトルを思いつかせてくれた、ACの「ぽぽぽぽーん♪」のCMにも感謝

新しいブログはこちらです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

一周忌を迎えて、う~に~様もお引越しいたしました。

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ダンナが知り合いの陶芸家に依頼して作ってもらったニュー骨壷。
アイスの形をしています。
が、私には白い蓋の部分が、工事のおじさんのヘルメットに見える
ああ、かぶりたい衝動を抑えられない

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少しコンパクトになって、いい感じに収まっております。
箱がない分スペースが空いたので、フェルトう~に~を飾れました。

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これ何だと思いますか?
う~に~の骨です。
お骨の移し替えをしていて見つけました。

触角と手足がある宇宙人?にも見えるし、

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あーやさんが作ってくれた服のカエルにも似てる

可愛い~
カエル星人と名づけました。

こんな面白い骨を残してくれるとは、さすがう~に~だ。
いやもしかして、みんなあるの?
これ、どこの骨なのでしょう。尻尾なのかな?

手持ちの分骨カプセルに入れようとしたけど、長すぎて入りませんでした。
もう少し大きいカプセル探さなくちゃ。

今日はダンナは仕事に出かけたし、私も夕方から仕事です。
だから特にイベントはないのですが、かえって気がまぎれていいかもね~。

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2011年10月 9日 (日)

う~に~の軌跡・番外編(えっ!まだあるの!?)

「う~に~の軌跡」は、う~に~の16年3ヶ月の犬生の記録なので、
う~に~の身に起きたことは、なるべく漏らさず書くようにしました。

旅行だけでなく、病気や怪我で通院、治療したことは、大したことではなくても
書いておきました。
後でなにかの参考になるかも知れないからね。

ところが、一つだけ書かなかったことがあります。

それは、股関節のことです。
う~に~は若い頃に、3回股関節のレントゲンを撮りました。
それをその年毎に書くよりも、まとめてひとつの項目として書いた方がよいのではと
思い、あえて外しておいたのです。

それでは、「う~に~の軌跡・番外編」、だらだらと長いです(笑)。

 最初のレントゲン(無麻酔)

う~に~が初めて股関節のレントゲンを撮ったのは、生後7ヶ月の時。
特に歩き方がおかしかったり、痛みがあったりしたわけではありません。
う~に~のかかりつけの病院の院長は、大型犬の股関節に関していち早く
問題提起してきた人物で、当時その筋では有名な人だったのです。

そういう病院だったので、
「まあ一応撮っておくか」という軽い気持ちでレントゲンを撮りました。
う~に~の主治医も、
「この子の歩き方を見る限りでは、問題はなさそうな感じですが」
と言っていました。だけどこれは、撮ってみないとわかりません。

この時は麻酔なしで行いました。
撮ってみたら、右側の股関節が若干緩かったのです。
大腿骨頭、寛骨臼の変形はありませんでした。
主治医が言うには、そんなにひどいものではない。
当時は股関節の問題を知らない人も多く、みなレントゲンを撮らないけど、
撮ってみたら、これより悪いゴールデンはたくさんいるだろうという程度のもの。
という見解でした。

骨の形がきれいだったので、もしかして、うちに来てからの飼いかたが悪くて、
脱臼させてしまったのではとも思いました。
ジャンプや階段には気をつけていたけれど、う~に~が興奮して狭い部屋中を
ぐるぐる駆け回ったり、急停止するのを、なかなか抑えることができなかったからです。
子犬のうちは引き運動ではなく自由運動がいいと言うけど、そういう環境を与える
ことができませんでした。
後天的なものだったら申し訳ないことをしてしまったけど、もう取り返しがつきません。

主治医は大したことないと言ったけど、院長に言われた運動のさせ方は、
たいへん厳しいものでした。

運動は、直線を速足で1回15分。それを1日4回。

最初はそれを守ろうとしました。
でも7ヶ月のゴルが、そんな生活できるずありません。
パワーを持て余したう~に~は、家の中を走り回るし、飛びついて私の袖口を
ガブガブ噛んで散歩にならないし。

第一、遊びの中でコミュニケーションをとりつつ訓練をするつもりだったのが、
全然できません。

ちょうど自我の目覚めるお年頃。う~に~は自分の力を試そうとするところもあって、
私はちょっとした育児ノイローゼになってしまいました(笑)。

少し経って、レントゲン写真をブリーダーに見せました。
う~に~の歩き方も見てもらいました。

ブリーダーは写真を見て、大したことはないと言いました。
そして、「一生支障なく歩けるよ」と言い切りました。

まあ普通に考えれば、犬を売った方としては、みんなそう言いますよね(笑)。
もしも私が、ペットショップとか、よく知らないブリーダーから犬を買ったのなら、
そんな言葉は信用しなかったでしょう。
でも私は、ブリーダーの言うことを信じました。
何故なら、う~に~のブリーダーとは、犬を飼うと決める前からの知り合いで、
そこの犬もブリーダーの人柄も知っているから。
そしてブリーダーの家にいる犬と、売られた犬の中で、私の知る限りでは、
手術したり歩けなくなった犬は、1頭もいませんでした。

ブリーダーは、普通の生活をしていいと言いました。
たとえば階段から落ちたり、滑ったりしないように気をつけないといけないけれど、
ボール投げなどは、やってもかまわないと言われたのでした。

私は安堵して、院長の言うことは聞かないことに決めました

でも、だからと言って気にしなかったわけではありません。
運動させ過ぎないよう(もともとゴルは身体ができるのに2年くらいかかると
言われているから、やりすぎは厳禁)、股関節に負担をかけないよう、
注意して運動させました。

たぶん他人から見たら、とても神経質だったと思います。
2人で散歩に行くときには、片方が後方から歩いて、う~に~の歩き方や
腰の振り方を注意深く観察しました。
ダンナは股関節のことを勉強してオタクみたいになっていました(笑)。

注意しながらも、ボール投げやフリスビーなどもやりました。
目標を作ってしまうと、私の方がのめりこんで、やり過ぎる心配があったから、
競技会等は目指しませんでした。
フリスビーは、空中でジャンピングキャッチするのがよしとされていますが、
う~に~には、走りながら取れるように、低く投げる練習をしました。
急停止をしないように、ボール投げではなく、オモチャを隠して探させる遊びも、
よくやりました。

ブリーダーの家には毎月泊まりに行っていたので、その度に歩き方に異常がないか
チェックしてもらっていました。
う~に~は痛がることもなく、成長していきました。

 2度目のレントゲン(PennHip)

1歳5ヶ月の時、全身麻酔でペンヒップ用の写真を撮りました。
かかりつけの病院では、OFAよりペンヒップの方を勧めていたのです。
OFAは1枚の写真を専門医が見て判断するものであるのに対し、ペンヒップは、
認定医が撮った3枚の写真をペンシルバニア大学に送って、関節の緩みを数値で
表すものです。
OFAよりも客観的で、精度が高いといえます。
また、変形性関節炎が生じているかどうかも判断します。

ペンヒップの結果は、やはり右の股関節に緩みがあり、左も右ほどではないが
緩みが見られました。
骨の変形と炎症は認められませんでした。

このレントゲンを撮った後も、気をつけながら生活するというのは同じで、
治療などはしていません。
関節のサプリメントを飲んでいたくらいです。

 3度目のレントゲン(全身麻酔)

次にレントゲンを撮ったのは、3歳10ヶ月の時です。
避妊手術をすることになり、全身麻酔をするので、ついでに股関節のレントゲンも
撮ってもらいました。

できた写真を見て、主治医が説明をしようとしている時です。
院長が通りかかり、こう言いました。
「いいね~、これ。誰の股関節?OFAならGOODがもらえるよ」

ええ~?院長、3年前に、すごくキビシイこと言いましたけど

たしかにこの写真では、全然問題なく、きれいにはまって見えたのです。
最初に撮った写真がこれだったら、「股関節は問題なし」という判断が下され、
ペンヒップは撮っていなかったかも知れません。
そしてう~に~は大丈夫だと過信して、無茶なことをしてしまったかも知れません。
そう考えると、ペンヒップ撮っておいてよかったな~と思います。

このレントゲンを撮って安心したけれど、ぺンヒップの診断では、緩みが数値に
表れているので、用心するに越したことはないのです。
でも注意は続けていたものの、やはり多少気が大きくなりまして(笑)。
これ以降は、フリスビーやアジリティのハードルなどもけっこうやっていたし、
山歩きで急な斜面を上り下りしていました。

身体が出来上がる途上の若い時期には運動をセーブして、充実していた4~7歳
の時に思いっきり身体を動かせたことは、結果的によかったと思います。

08990916s
これは投げ方を失敗して、ジャンプさせてしまったところです。
う~に~5歳のころ。北海道です。

その後はずっとレントゲンも撮らずにいました。
歩き方も問題なく、痛がることもありませんでした。
再び撮ったのは10歳過ぎてから。
ドッグドックを受ける時、オプションで撮ってもらいました。
これはもちろん無麻酔です。

7年ぶりくらいに撮った結果は、3歳10ヶ月の時と変わりませんでした。
進行もしていないし、関節の変形も炎症もなしでした。

それからは、毎年ドックの度に撮りました。
14歳まで著しい変化はありませんでした。
でも15歳の時には、股関節だけでなく、胸椎にもブリッジがあったし、関節炎も
見られました。
筋肉もごっそり落ちていました。
しかしこれらは形成不全ではなく、加齢によるものなので、どうしようもありません。

う~に~が16歳過ぎまで歩いていたことは、読者の皆様は既にご存知かと
思います。
ブリーダーが言ったとおり、う~に~は一生支障なく歩きました。

もうすぐ16歳2ヶ月、しっかり歩いてます・・・2010.8.14

若い頃レントゲンを撮ったことと、院長に厳しく言われたことは、よかったと
思っています。
言いつけは守らなかったけど(笑)。
う~に~とは楽しみながらも、常に注意を払って生活してきました。
本心では、気にしすぎじゃないの?と思うこともあったし、レントゲンも撮らず、
何も気にしないでいても、結果は同じだったかも知れないけど・・・
だけど先に知っていれば予防できたのに、知らなかったために痛い目にあわせて
しまったとしたら、自分の無知と怠慢を激しく後悔すると思います。

今では遺伝性疾患のことも広く知られるようになり、ドッグスポーツも普及しました
から、私が今さら言うまでもなく、股関節のみならず肘関節や諸々の検査もして
おられる方が多いかと思います。
「うちはアジリティーもディスクも、ブリーディングもしないから関係ないわ」
という方も、若いうちに検査をしておくことを、私はおススメします。

う~に~が若い頃には、何の治療もできなかった種類の癌も、今では早期発見が
できることも多くなり、抗癌剤や難しい手術ができるようになってきました。
大型犬の寿命は確実に延びていると思います。
15年前後の使用に身体が耐えられるように、若い時から、犬の身体の状態を
知っておき、ケアしていくことが重要ではないかと思うのです。

15歳でもこんなに走れるよ・・・2009.6.27

これで本当に終わります。
番外編はもうありません(笑)
皆様の大切な犬さん猫さんが、すこやかに長生きしますように。

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2011年10月 5日 (水)

カレンダーの季節です

今年も、GRCJ・レスキュープロジェクトの、

「幸せになった黄金の天使たち」のカレンダーが届きました。

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カレンダーと、寒いのでフリースにくるまってるまいす

私は、GRCJ(ゴールデン・レトリーバー・クラブ・オブ・ジャパン)の設立当初からの
会員です。
このクラブは、単なる愛好会ではなく、ゴールデンの向上と福祉のために学ぼうと
いう目的の、たいへん真面目な団体です。
ブリーディングやスタンダードのこと、訓練のこと、健康のことなど、私も多くのことを
勉強させてもらっています。

レスキュープロジェクトでは、ゴールデンの保護、新しい飼い主さん探しを
行っています。
自分の年齢や体力を考えると、もう大型犬は無理かなと思っている私ですが、
もしもゴールデンをもう一度飼おう!という気持ちになるようなことがあったら、
こちらのプロジェクトに登録して、新しい家族を探しているゴールデンを迎えたいと
思っています。

今は何も力になれない私なので、せめて少しでもという気持ちを込めて、
このカレンダーを毎年購入しています。

が、去年は買えませんでした。
う~に~が寝たきりになっていて、他に気持ちを向ける心の余裕がなかったので。

今年は即、申し込みました。

カレンダーの中にいるゴールデンは、みな保護されて、新しいご家族のもとに
巣立っていった犬たちです。
どの犬も、みんないい表情をしています。
大切にされて、愛情をいっぱい注がれているのがわかります。

そして、表紙を飾っている8頭のゴルさんは、天国に旅立った犬たちです。
過去がどうであれ、最後は優しい飼い主さんのもとで一生を終えることが
できたのだから、幸せだったと思います。

この子たちの飼い主さんも、私と同じ大きな悲しみを乗り越えたんだなあと思い、
表紙のコメントを読んでう~に~を想い、また涙が

カレンダーは1部1500円。
申込みは、GRCJのトップページ、
「2012レスキュープロジェクトカレンダー」から入れます。
ゴールデンのカレンダーをお探しの方、おひとついかがですか。
売上は、プロジェクトの活動費用に使われます。

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2011年10月 2日 (日)

う~に~の軌跡・2010⑤

引っ張ってすみません

 旅は終わった

2010年の旅行回数は5回、12泊。
6月までは、前年までと同じ、ほぼ月1ペースで旅行していた。
夏は旅行はお休みだから、秋になって再開できる日を楽しみにしていたけれど、
それは叶わなかった。
う~に~はワタクシを置き去りにして、ひとりで旅に出てしまったのであった。

「う~にゃんのいぢわる」と言いたいけど(笑)、
どうやらワタクシを連れてけない所に行ったみたいなので、しかたない。

こうしてう~に~は、すべての旅を終えた。

総旅行回数  177回
のべ宿泊数  354泊(宿300・キャンプ10・ブリーダー宅等44)
宿泊施設数   121軒(宿118・キャンプ場3)

ホントに合ってるのかどうか自信ないけど(笑)
数えてみたらこんな結果になった。

たくさん出かけたね~。
全部忘れられない、楽しかった思い出です。

2010年のお出かけ先のアイスは、半年しか食べられなかったけど、
けっこうたくさん食べた。
寒いのガマンして食べたし、車の中でも食べたからね。

2010年アイス1・・・1月~2月

2010年アイス2・・・2月~3月

2010年アイス3・・・3月~4月

2010年アイス4・・・4月~5月

2010年アイス5・・・5月~6月

もうどこに行っても、う~に~と一緒にアイスを食べられないと思うと、
とてもとても淋しい。
観光地でソフトを食べる日が、いつか来るのでしょうか。

 あとがき

う~に~と歩いた16年の物語は、これでおしまいです。
寂しいけど、新しい物語が綴られることは、もうありません。

思い出を書き終えて、あらためて実感したことは、
「16年は長かったんだな~」ということです。
あっという間の16年ではありましたが、客観的に考えたら長い年月です。
う~に~はこんなにも長く(私の人生の3分の1です)そばにいてくれて、
こんなにたくさんの、しあわせな思い出を残してくれたのでした。

16年分の思い出をブログに綴るのは、楽しい時の方が多かったけど、
途中で何度か、とても淋しくなったり落ち込んだりしました。
何を書いてもう~に~はもうここにはいないのだ、と悲しくなって、
「死んだ犬の、過去のことを書いたって意味がないよね」
と思って、やめたくなったりもしました。
だけど、書くことで自分が癒やされていることも、確かでした。

宮部みゆきさんの「楽園」という作品に、「喪の仕事」という言葉が出てきます。

残された者が死者を悼み、その記憶を整理してゆくことで、喪失の傷を癒やし、
愛する者の死を認めてゆく過程のことだ。
                   (宮部みゆき「楽園・上」文春文庫より引用)

ワタクシがブログにう~に~の一生を書き綴ったことは、ワタクシにとっての
「喪の仕事」であったのだろうと思います。

今、ワタクシは大満足です。
だってこれからは、古いアルバムを引っ張り出さなくても、日誌を読み返さなくても、
ネットさえつながれば、いつでもどこでも16年分のう~に~に会えるのですから。
食べたアイスもすぐ思い出せるし(笑)
「う~に~の軌跡」は宝物。
これからのワタクシの、生きる拠りどころとなっていくことでしょう。

自己満足のために綴った、長い長い思い出話に、おつきあい下さいまして、
ありがとうございました。
余も老けましたので「う~に~の軌跡」は、これにてお開きとさせていただきます。

Photo
2009年3月 富士ハーネスにて。

あっ。ブログはまだ終わりませんからねっ

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2011年9月30日 (金)

う~に~の軌跡・2010④

 急激に衰える

旅行から帰った後は、いつものように生活していたが、6月30日の夜に、
また倒れた。

おもちゃをレトリーブしたのは、6月28日が最後。

7月に入ってから、まっすぐに歩けなくなった。
今まで家の前で排泄していたのを、自発的に家の敷地内で済ませるようになった。
外で倒れるととても困るので、これはワタクシとしてもありがたかった。
家の中では慣れてきて、徘徊していたり、台所でストーカーをしていた。
食欲もばっちりだった。

8月中旬まで、倒れることもなく、家の中ではそれなりに元気な日が続いた。
でも外を歩かせると、右に右に曲がってしまうのだった。

この年は、とんでもない猛暑だった。
う~に~が生まれた1994年も猛暑だったけど、その記録を抜いたのだ。
毎日35度を超える日が続いた。
それはきっと、う~に~の老体には、大きな負担だったと思う。

そんな猛暑日が続いていた8月17日の朝、1ヶ月半ぶりに倒れた。
この後、ほぼ毎日倒れて、しばらくの間気を失うようになった。
それでも目が覚めているときは、食べ物には敏感に反応していたし、
立ったままでごはんを食べていた。

8月24日からは、トイレに行ったり、ごはんを食べる度に気を失うようになった。
ごはんを全部食べ終わらないうちに寝てしまうこともあって、食べさせるのに
苦労した。

この時に検査したら、既に貧血だったのだろう。
だけどあまりの暑さに、病院に連れて行くことさえできなかった。
まあわかったところで、何もできることはないと思うけど。
でも知らないよりは、マグロやらレバーをたくさん食べさせることができたし、
無理に立たせてごはんを食べさせようなんてしなかったと思う。
そうしていたら、もう少し長生きできたのかなとか、答えのないことを
今も思ったりする。

わき腹に、硬くて大きなしこりが急に現れたのも、このころだった。

それから1ヶ月、食べる、トイレに出る、眠るを繰り返す毎日。
それでもごはんはしっかり食べていて、吐くこともお腹を壊すこともなかったから、
それなりに安定した幸福な日々だったと思う。
たまには目が覚めていて、立たせてあげると、ごはんの用意をするワタクシに
張り付きに来ることがあった。
そうやって来てくれるときはとても嬉しく、全然目が覚めないときは悲しかった。

 9月24日 寝たきりに 

ここから先のことについては、「振り返り闘病記」に詳しく書いているので、
詳細は略す。
実は、去年自分の書いた闘病記を、あれから読み返していない。
あの頃のブログや写真は、まだあまり見たくないのが本音。

10月7日までは、アイスやケーキ、レバーなどを少しずつ食べていた。
食べようとして、顔を上げたくてもがくことはあったが、それ以外はずっと眠っていた。

10月8日からは、何も食べなかった。
ほとんど眠っていたけど、時々目を動かしてこちらを見ていた。

老犬が、いらだったり何かを要求して吠えるようになる、とはよく聞くけど。
う~に~には当てはまらなかった。
う~に~には、ワンワンもパオパオもヒンヒンも、一声もなかった。
ワガママばーさんになるのを、ちょっと楽しみにしていたのだけど。

 10月12日 旅立ち

朝8時半頃、う~に~は永遠の眠りについた。
ワタクシもダンナも起きたばかりで、う~に~の朝のお世話を始めたところだった。
こんなに朝早く逝かなくても、せめてこの日一日くらいこちらにいてくれれば、と
思ったのだけど、う~に~はこの時間に決めていたのかも知れない。

なぜなら、寝起きの時間なら、確実に2人ともそばにいるから。

ダンナも台所に寝るようになったのは数日前のことで、それまでは2階で寝ていた。
日中もだいたいワタクシが台所にいて、ダンナは2階にいて、ワタクシの外出時は
ダンナが台所にいて、見ていた。

確実に2人そろって台所にいるのは、食事時と、夜から朝にかけての時間だった。
う~に~は、ちゃんとお別れするために、2人がそろっていて、しかも自分に集中
している時を、選んだのではないか。

う~に~がいなくなって、少し時間が経ってから、そんなふうに思うようになった。

3週間近い寝たきりの間、う~に~はそれほど苦しまなかった。
とワタクシは勝手に思っている。
ホントのところはわからないけど。

寝たきりになってからも、いつもの笑ったような顔で寝ていた。
呼吸は普通より速かったし、熱が出たり、起きようとしてもがくことはあったけど、
痛みで鳴き続けるとか、ハアハアと喘いで眠れないとかいうことは一度もなかった。

長く生きて欲しいというよりも、ここまできたら、最後まで痛み苦しみがないようにと
いうのが、一番の願いだった。
もしも苦痛が続くのなら、それは飼い主の責任で取り除いてやらなければと
思っていた。
だけどそういうことにはならなかった。
老衰ではないけれど、老衰と言っていいような旅立ちだったと思う。

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意を決して1年前の写真を見てみた。
去年の今日のう~に~。
まだこのころはよく食べていた。

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2010年10月11日の夜9時頃。
呼吸がとても静かになっていた。

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上の写真の約12時間後。
旅立って30分後くらいの顔。
穏やかで満足そう。いつもの寝顔と同じ。

本当は、直前まで普通に歩いて食べて眠って、気づいたら逝っちゃってた、
という逝き方をしてほしかった。
それがう~に~にとって一番いいと思ったから。
本犬も、死んだことに気づいていないような(?)死に方がよかった。

今でもそれが理想だという思いは変わらない。
しかしそれは、う~に~のためを思った理想であって、自分のためではない。
もし本当にそうなったら、ショックが大きくて取り乱すかも。
いい死に方だとは思っても、やっぱり、あれもしてやりたかった、これも食べさせて
おけばよかった、といつまでもクヨクヨ考えたことだろう。

自分本位に考えれば、やはり介護の時間が欲しかった。
心の準備も納得もできれば、それに越したことはない。
う~に~はそのために、3週間の時間をくれた。
そしてそれは苦痛に耐えるのではなく、静かで穏やかな時間だった。
介護は大変ではなかった。ほとんど寝てたから。
逝く時も、ちゃんと2人に知らせてくれた。
最後までう~に~に助けられたな、と思う。
よくできたお方だった(笑)。

心残りなのは、16歳旅行を終えてからは、どこにもお出かけができなかったこと。
16歳2ヶ月までは、ふらふらしながらも歩くことができたし、食いっぷりも見事
だったのに。
出かけられなかった理由はただ一つ。

暑かったから。

去年の猛暑が本当に恨めしい。
少しでも涼しい日があれば、カートでソフト食べに行くくらい、できたかも知れない。

でもそう思っているのは、ワタクシだけかも。
涼しい家の中で、差し入れていただいたフルーツやアイスをたくさん食べていた
う~に~は、十分満足していたかもね。

写真は見ることができたけど、寝たきり中の動画はまだ見る気になれない。
自分のブログも読む気がしない。

全部を懐かしく見ることができるようになった時、本当に乗り越えたと言えるのかも
知れませんね。

う~に~の16年の犬生はこれで終わりです。
でも、やっと終わった~と思った皆さん。残念でした。
書き残したことがあるので、あと少し書き足します。
もうちょっとだけおつきあい下さい。

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2011年9月29日 (木)

う~に~の軌跡・2010③

那須旅行のつづき

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5月15日。またまた「モンレーブ」でアイス。

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ソフトおいしいね~。

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また、う~にゃん用ソフトいただきました

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オープンして間もない「なすこぐまアイス」にも行った。

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「なすこぐまアイス」のくまさんと親しくなった(笑)う~にゃん。
ここのアイスはさっぱりして美味し~の。
小さくてお安いしね。
アイスの新規開拓もできて、有意義な旅行でしたよ。

 5月20日 倒れる

夕方、立ち上がってこちらに来ようとして、突然ばったり倒れたう~に~。
初めてのことだったので、このまま逝っちゃうのかと思った。
半泣きで病院に電話したが、なんだか安らかに寝ているようなので
病院には行かず、そのまま様子見となった。
30分くらいしたら目が覚めた。
そして普通に立って、食べ物をねだったので、ひと安心。
後日、病院で聴診や血液検査をしたが、何も異常はなかった。
この時はまだ貧血も数値には現れていなかったのだ。

 6月22日 16歳誕生日

その後倒れることもなく、無事に16歳の誕生日を迎えた。
1ヶ月以上何事もなかったので、倒れたのはたまたま?みたいな気になっていた。
しかし、あまりにも盛大にお祝いしすぎたからか、その晩また倒れてしまった

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16歳になったう~に~。

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ろうそく16本立てられてよかった

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「うかい」の高級すき焼き用霜降り牛も初めて食べた
(ワタクシも初めて食べたbyうにまいす星人)

17歳のお祝いはできなかったからね。
この時、高級霜降り牛肉を食べさせておいてよかったですよ。

 16歳記念清里旅行

前の晩倒れたので心配だったけど、翌朝は普通に歩いていたので、
誕生日旅行は予定通り決行。
今回は誕生日のプレゼントだから、まいすを預けて、八ヶ岳高原のペンション
「マロン&クリン」へ。
バリアフリーで老犬に優しい宿だった。

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6月23日。部屋で気持ち良さそうに寝てた。

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6月24日。ダイニング同伴。食べてるうにまいす星人をガン見。

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まきば公園の売店でソフト。

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よかったねえ旅行できて。

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「昼のふくろう」で黒糖カステラお裾分け。

倒れたこともあるし、とにかく暑い日だったので、ほとんど何もしない旅だった。
でも行けてよかった。
この旅行が最後になってしまったけど、16歳の記念旅行ができたんだもんね。

 まいす腎不全発覚

預けたついでに、年に1度の血液検査をしてもらったまいす。
初期の腎不全であることが発覚した。
前年の検査では、「10歳過ぎにしては立派」と言われ、
腎臓の数値はどちらかというと低い方だったのに。

まだ正常値を少し超えたくらいなので、療法食に変えることと、定期的な検査のみで
経過観察となった。

腎不全にはストレスのない生活をすることが大事だという。
もうまいすを病院に預けて、旅行することはできない。
だからって連れて行けばいいってものでもない。
う~に~だったら、旅行を楽しんでいることは明らかだから、多少腎臓に負担が
かかっても連れて行ってやろうと思うけど、まいすには旅行はストレスかも
知れないし。

腎不全とわかってからは、遠出をするのは難しい状態になったうにまいす家。
でもどっちみち、う~に~もこの先は、旅行することはできなかった。
これは結果オーライってことなんだろうか?

いよいよ最終章です。

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2011年9月27日 (火)

う~に~の軌跡・2010②

 3月末 まいす肛門腺バクハツ

まいすの肛門嚢が腫れて、病院に行くのが遅れたために破裂。
毎日消毒するよう指示されたが、これがとっても大変。
で、思いついちゃった。
このところずっと、まいすも一緒に旅行していたけど、この際、病院で消毒して
もらうことにして、預けちゃおう(←ひどい?)
ということで、もう諦めていた「オーベルジュ・ラ・プーサン」への旅行が実現。
まいす、ありがとう(←いやそんなつもりじゃbyまいす)。
しかし、完治まで時間がかかると言われたまいすは、驚異的回復力を見せ、
病院に預けた時にはすっかり治っていて、消毒の必要がなかったのだった。
単に預けられただけの気の毒なまいす。

 4月 斑尾旅行

という理由で決行した、3泊4日の斑尾旅行。
これがもう大成功で、本当に行ってよかった。
もしこの旅行をしてなかったら、ワタクシずっと後悔したのではないかと思う。
「あんなに元気だったら十分行けたのに」ってね。
きっかけを作ってくれた、お尻バクハツのまいすに感謝。

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4月8日。なんと一晩で雪が積もった!
予想もしなかった雪遊びができたう~に~。
嬉しそうに新雪の上を歩き回っていたよ。

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春の雪はすぐ融けた。日中はう~に~には暑いくらい。
だからもちろんアイスを食べまくった。

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2ヶ所めのアイスを食べさせてもらったとこ。

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小布施堂のカフェ傘風楼のテラス。
アイスを買いに行ったうにまいす星人を監視中(笑)

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栗アイス。もうお腹いっぱいだったので、う~に~に大盤振る舞い。

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プーサンのリビングでニコニコするう~に~。

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4月9日。ダイニングで人間のディナーにおつきあい中。

この旅行では、う~に~が終始上機嫌だった。
プーサンの庭では、帰る日の朝にちょっと走っちゃったりしたのだ。
転んだけどね。
遠かったり出入りに階段があったりと支障があったけど、う~に~の嬉しそうな
顔を見たら、来てよかったとつくづく思った。

 5月 那須旅行

5月はアイスを求めて那須旅行。
口の腫瘍は少し大きくなったけど、う~に~は元気だった。
でもこのころから瞼のマイボーム腺腫も大きくなってきて、邪魔だし目やにも多い。
歩ける距離もかなり短くなってきた。

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5月13日。「モンレーブ」で苺ソフト。

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5月14日。「ジョセフィーヌカフェ」でナンナンちゃんと会った。
しかし、ばーさん犬、我関せず。

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そしてアイスが出てきたときだけ起き上がる(笑)

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頭冷やして嬉しそうですね

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前年の秋にも泊まったピュアイン那須に3泊。

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5月15日。「パンの家リネア」で朝食。

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自分も食べられると思って喜んでいる   

この那須旅行では、4月の斑尾ほど元気に歩けなかったが(暑かったので)、
それでも精力的にアイスを食べ、カフェやレストランにも出かけたのだ。

那須旅行の写真はまだ続きます。

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2011年9月25日 (日)

う~に~の軌跡・2010①

2010年はほんの1年前のことだから、懐かしく思い出すってものでもなし、
思い出して楽しいものばかりでなし。

でもこれを書かないと「う~に~の軌跡」は永遠に完成しないので、
覚悟を決めて書く。
さくさくといこう。

前年の暮れに前足の関節がボロボロなので、トイレ散歩以外は安静と
言われたう~に~だけど。
あっという間に復活し、正月明けには、遊びに行ったカフェくんちで激しく回遊
するほどであった
遊ばないと退屈して家で暴れるので(15歳半の犬がですよ)、
あまり気にせず今までどおりの生活をすることにした。

年末にはカート散歩も始めたのに、結局必要ないみたい。
カート不要なら旅行にも行ける(車が小さいので旅行時はカートは積めない)
ので、1月末には旅行を再開した。

 2月 伊豆旅行

2年続けて伊豆高原で眼振が出たので、伊豆高原は避け、行き先を
西伊豆にしてみた。
堂ヶ島近くの山の中にある「ペンション伊豆子」に2泊。
ここは家1軒完全貸切の、1日1組限定宿。
食事はオーナー夫婦が作りに来てくれる。
お風呂は24時間入れるし、とてもCPの高い宿だった。

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2月1日。「道の駅花の三聖苑」を散歩。
ここで桜葉ソフトを食べたよ。

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2月2日。「道の駅伊豆のへそ」に立ち寄る。
苺ソフトを車の中で食べました。

ここで、なぜか未公開になっていた動画を発見したのでUPします。
お風呂から上がったばかりのう~に~です。

お風呂上り・・・2010.1.20

 2月20日 歯茎の腫瘍発見

う~に~の下の歯茎に小さなできものを発見。
とても嫌な予感がして、その日のうちに病院に行き、細胞を採って検査に出した。
口の中だけに、悪性のメラノーマを覚悟していたけど、結果はわからなかった。
麻酔をかけて切除したものを再度検査に出せば、明確にわかったのだろうが、
悪性とわかったところで、下顎を切除する手術も、抗がん剤も放射線も、
やるつもりはなかった。
何もしないのなら、麻酔をかけてまで切る必要はないので、再検査はしなかった。
だからこれが癌だったのかどうかは、今もわからない。
大きくなったのは確かだし、夏には貧血となったのだから、最後にはどこかに
何かしらの腫瘍があったのだとは思う。
しかし主治医の説明や、ネットで調べたメラノーマの症状と、う~に~の辿った
経過はずいぶんと違っていた。
もし癌だったとしても、メラノーマではなかったのではと思っている。

主治医からは、もしも癌ならどんどん大きくなって、出血がひどかったり、
食べられなくなって、QOLの低下になるかもと言われた。
それなら食べられるうちに好きなものを食べ、楽しい生活をさせようと思った。

 3月3日 ドッグドック

もしも癌なら、既に内臓に転移している可能性がある。
血液検査やレントゲンで、何かが判明するかも知れない。
ちょうどその時期だったので、恒例のドッグドックを受けた。
結果、血液検査では異常を示すものがなく、レントゲンでも、肺などに転移している
こともなく、いつものとおりの健康体であった。

でも毎年注射していた8種混合ワクチンは、打つのをやめた。

 3月 清里旅行

ドックで何の異常もなかったので、さっそく旅行へ。
清里の「コテージ睦」に2泊。
ここに決めた理由は、食事を部屋に運んでくれるから。
そしてソフトクリームを売っているから(笑)。
頼めばソフトをルームサービスしてくれるのだ。
これなら歩けなくても、ソフト食べられるでしょ

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3月17日。白州の「テラス」でランチ。

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3月18日。「睦」のソフト売り場。

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マイスプーンを持参しました。あむっ。

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3月19日。「コテージ睦」のドッグラン。
部屋から直接行けます。階段あるけどね。

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黒みつきなこソフト。
2度目のアレルギー検査をしたら、大豆が解禁になった。
その代わりカツオとラムがダメになりましたが。

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わほー好物のきなこ、久しぶり。

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コテージは狭いけど、ソフトがすぐに買えるのはサイコー。
う~に~は気に入ったようでした。
もう一度連れて行ってあげたかったな。

②につづく。

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2011年9月22日 (木)

去年の今日は、最後の月誕生日

今日は22日のう~にゃんデー。
生きてたら17歳3ヶ月・・・って数えるのも、今日でおしまいかな~。

16歳3ヶ月の月誕生日は、しえるちゃん一家が「トゥエル」のジェラートを
持って会いに来てくれたのでした。
う~に~はもう、だいぶボーッとしていたけど、月誕生日のユッケとレバ刺しも、
お土産にいただいたジェラートも、ちゃんと顔を上げて食べたよ。

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おいしいジェラート食べられてよかったね。

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う~に~に添い寝するまいす。

この2日後、後ろ足に力が入らなくなって、完全寝たきり生活に突入。
そして顔を上げて食べることも難しくなりました。

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「歩いている写真を撮ったのは去年の9月11日が最後」って、
「11ヶ月」の記事に書きましたが。
すみません。ウソつきました。
これは去年の9月21日の夜に撮ったもの。
まだ歩いてますよ。

16歳3ヶ月のお祝いができたことは、本当によかったと思っています。
ユッケを一気食いして、ジェラートも美味しそうに食べてくれて。
食べられなかったら、悲しかっただろうな。
う~に~は「食べられない月誕生日」を一度も経験することなく、旅立ちました。
もしかしたら私たちを喜ばせるために、22日まで頑張ってくれたのかも知れない。

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京都の和菓子屋さん「鶴屋吉信」の世田谷店が、うにまいす家の
ごく近所にあります。
なんでこんな場所にあるのか、とても不思議(笑)。
でも近くて便利なので、うにまいす家の手土産はここの和菓子が定番。

このお店、前にTVドラマ「花より男子」のロケに使われてたよ。
看板を付け替えて撮影しているところに、偶然通りかかりました。
でも有名人はいなかったようです(わからなかっただけかも)

ロケといえば、「ごくせん」の撮影も世田谷公園でやってたっけ。
なんだか若い女の子がたっくさん見物してたなあ。
でも私には、一人もわからなかったのでした。
基本的にドラマ見ないからね。
ま、そんなことはどーでもいいことだ。

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お彼岸だから、おはぎを買ってきました。
去年の月誕生日にも、ここで和菓子を買いました。
でもう~に~は眠り犬になっていたので、お肉を食べるだけで精一杯で、
お菓子まで食べることはできませんでした。
今日は全部食べていいからね。

ところで・・・

去年う~に~のお葬式を、お寺の動物霊園でしていただいた日のこと。

若い女の子が、ここで猫ちゃんのお葬式をしたらしく、この日は初七日の
法要?か何かで、来ていました。
人間でも告別式と一緒に初七日やっちゃうのに(うちはそうしました)、
えらい真面目な人やなーと思いました。

この女の子は、とっても猫ちゃんに愛情を注いでいたであろうことが、
霊園の係の女性との会話からわかりました。
お寺さんでは、初七日が○日、二七日が○日、と書いた一覧をくれるのですが、
できれば主だった日はすべて法要をしてあげたいと考えているようでした。

「三十五日っていうのがあるって知らなかったんですけど、四十九日の前に、
これもやった方がいいんでしょうか?」
と質問する女の子。

「それはお気持ち次第ですけど、だいたい四十九日だけする方が多いですよ」
と係の女性。

うーん。人間でも三十五日なんてせんのに(うちはしませんでした)、
真面目な子やな~と思って、会話を聞くともなく聞いていたのです。
待ち時間、やることないからさ。

すると彼女、さらにこんな質問を。

「あのぉ、お供えなんですけど、そのままでいいんでしょうか。
それとも缶や袋は開けた方がいいんでしょうか。開けないと食べられないかと
思って心配なんですけど」

彼女は至って真剣。心から愛する猫ちゃんに食べて欲しくて、そう聞いたのだと
思います。
だけど、すみません。失礼ながら、ぷぷっと吹き出しそうになった私でした。

「どちらでもけっこうですよ。どちらでも、食べることができますからね~」
と優しく答える係の人。

微笑ましいのだけど、そして亡くなった猫ちゃんをこんなにも大切に想っていて、
素晴らしいと思うのだけど、でも、つい笑っちゃう私でした。すまぬ

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そんなことを思い出したので。
食べられないと困るので開けてお皿に出しました。

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去年の9月22日。う~に~と手をつないだ写真を撮りました。
これを見ると、う~に~の手の重み、がさがさした肉球の感触と
香ばしい匂い(笑)、毛の手触り・・・すべて思い出せます。
五感がちゃあんと憶えてる。いつまでも忘れないよ。

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う~に~が寝ていたブレスエアーに、今は私が寝ていますが。
まいすもお気に入りのようで、なかなかどいてくれません

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あのさ、ベロはしまってみたらどうなの。

まいすは先週の血液検査では、また一段と数値がよくなりました。
BUNは正常値。CREはまだ高め。
悪化する前、初期の腎不全とわかった頃に近づきつつあります。

それはすご~く喜ばしいのだけどね。
原因不明の乾いたブツブツした湿疹が、お腹から内股にできてしまったのです。
それもけっこう広範囲に。
塗り薬は舐めてしまうので、抗生剤とステロイドをしかたなしに服用していますが、
これが腎臓の負担になることも考えられ・・・
せっかくよくなってきたのに~
と、とても残念な気持ち。
腎臓を考慮して、かなり少ない量を出してもらっています。
これが効いてくれて、腎臓にも影響がないといいのですが。

猫は犬に比べて皮膚がずっと丈夫なので、まいすの皮膚炎の心配は
していませんでした。
免疫力が落ちてきたのかなー。
う~に~の皮膚炎の時は、部分洗いしたり、いろいろ塗ってみたりしたのですが、
まいすはシャンプーは無理、なにか塗っても舐めてしまうので、飲み薬しか
できることがないのです。

なかなか順風満帆とはいかないものだ。

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2011年9月21日 (水)

う~に~の軌跡・2009⑥

 10月 長寿表彰

「長寿犬の表彰式に出ますか?」と病院でAHTさんに聞かれたのは8月。
出たいなら推薦してくれるということだった。
「それまでにもしものことがあっても表彰してもらえるんですか?」
と縁起でもないことを思わず聞いちゃったうにまいす星人。
だって8月はまだ、胃拡張が完全によくなっていなかったんだもん。

表彰式の頃は、もう歩けないかもと思って、カートの練習もした。
しかしう~に~はカートなんて要らないくらい普通に歩けていた。
せっかくだから使ったけどね。

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表彰式当日。
lamareさんが撮ってくれた、ワタクシが特に好きなう~に~の横顔。
なんとなく誇らしげ(笑)

長寿の表彰式に出席できたなんて、夢のようだった。
大型犬はう~に~だけだった(たぶん)。
小型犬や猫ちゃんも、ほとんどの子が抱っこやカートで受賞していた中で、
しっかり歩いて表彰台に上がったう~に~。

表彰式の写真は、当日見に来て下さった方々が撮って下さいました。
ダンナのブログにたくさん載せてあるので、そのまま貼っちゃう。
前も貼ったけどね

表彰式の様子

 11月 富士旅行

冬の旅行は富士山の見える方へ。
田貫湖の近くにある「休暇村富士」のコテージに2泊。
目的は、もちろん牧場アイス巡り。寒いけどね(笑)。

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11月19日。朝霧「フィールドドッグガーデン」のカフェ。
犬メニューのアイス待ち。

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「いでぼく」特製の犬用黒ゴマアイスだよん。

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その後すぐに「まかいの牧場」でソフトとジェラート連続食い。
これはさつま芋ジェラート。

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ヤムヤムうまい(←映画「グレムリン」にあったようなセリフ)

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11月20日。コテージで犬用ケーキを食べる。
この時不調だったけど、ケーキはしっかり食べるのだ。

う~に~は初日の夜に持病の首、肩痛?が出てしまい、2日め3日めは、
ほとんどどこにも行けなかった。
初日にたくさんアイス食べといてよかったよ。

 12月 再度富士旅行

前月の富士旅行がう~に~不調で不本意に終わったので、もう一度同じ所へ。
お宿も同じ「休暇村富士」のコテージ。
だけど今回はバリアフリー棟にしてもらってたいへん快適。
このコテージは、お風呂やレストランが少々遠いことを除けば、とてもいい宿だった。
ゆっくり3泊して堪能しました。

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12月13日。前回行けなかった「いでぼく」ははずせない。

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そろそろう~にゃんの番では。

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同じ「いでぼく」のカップのジェラート。

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12月14日。白糸の滝見物へ。

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12月15日。コテージのベランダ。

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「富士ミルクランド」のソフト。

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12月16日。最後はやっぱり「いでぼく」で〆る(笑)

この旅行はう~に~は絶好調だったけど、ダンナが具合悪かった。
結局前月同様、あまり行動しなかったが、アイスはいっぱい食べられたから
よかったね。       

 12月 左肩・前足ケイレン

順調に年を越せそうなう~に~だったが、クリスマスの日、散歩から帰って
少し経った頃、急に肩から前足にかけてブルブル震え始めた。
違和感を感じているであろうう~に~は、じっと寝ていられず、落ち着かない。

病院に連れて行きレントゲンを撮ってみたら、両前足の指の関節が、
ボロボロになっていることがわかった。
手首が痛そうで、曲げても曲がらないというのが主治医の診立てだったので、
庇って足先に力を入れて歩いているうちに、指に負担がかかってしまったものと
考えられた。
たしかに車から降りるときやジャンプなどで、前足の指にはとても負担がかかって
いたと思う。
15歳半といえば、既に身体の使用期限は過ぎてるとも言えるしねえ・・・

鎮痛剤を飲んで安静にして、2~3日ですっかり元気になったけれど、
もうあまり歩かせない方がいいのかな?
でも歩かなければどんどん歩けなくなってしまうよね?
と老犬飼い主初心者は悩んだ。
これからはカート中心かなとも思ったが・・・

16歳まではほぼ変わらずに旅行できたし、貧血で立てなくなるまでは、
最後まで自力で歩いていたう~に~だった。

 新記録達成

2009年の旅行回数は12回、32泊。
回数は例年並みだけど、なんと宿泊数はう~に~の旅犬の歴史の中で
最高記録を樹立してしまった。
まあ単に老犬のペースを考慮して、長い旅行が増えたってだけなんだけど。
しかし15歳になっての新記録ですよ。
う~に~恐るべし(笑)。
このまま16歳も記録更新してほしかったけど、衰えには逆らえなかったね~。

2009年のブログを読み返すと、う~に~がいい顔をしている写真が多い。
ま~だいたいアイスを前にしてる時なんですが(笑)。
若い頃はキリッと引き締まってカメラ目線の顔が多かったけど、老犬になって、
何をしても叱られず(笑)アイスばかり食べる生活になったら、力が抜けて
ぼよ~んとしたいい表情になった。
もちろん若い頃の、力強くてハツラツとしたう~に~も大好きだけどね。

若い頃には若い頃の、老犬には老犬の味わいというものがありますので、
なにも若い頃からやりたい放題で、アイスを食べさせまくった方がいいと
言ってるのではありませんからね(笑)。お間違いなく

この年のアイスのスライドショーを作ってみたら、とんでもない数になった
この下にずら~っと羅列しますが、ワタクシ以外の人には、どれも同じ写真に
見えることでしょう(笑)。
自分が見て、思い出に浸るためだけに作りましたので、どうぞ無視して下さい(笑)。

2009年アイス(1月~4月)

2009年アイス(4月~5月)

2009年アイス(5月~6月)

2009年アイス(6月)

2009年アイス(7月)

2009年アイス(9月)

2009年アイス(まだ9月)

2009年アイス(10月)

2009年アイス(まだ10月)

2009年アイス(まだまだ10月)

2009年アイス(11月)

2009年アイス(12月)

いやしかし、よく食べましたな~
こんなに食べてたんだね。

ついに2010年。ラストの年に突入です。

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